2023年02月03日
戦国大名高山右近殉教者
皆さんこんにちは、いかがお過ごしですか。
今日は戦国時代の武将高山右近のご紹介をいたします。1552年摂津の
国(現在の大阪府豊能郡)に生まれ、11歳で受洗、後に高槻城主となり、
織田信長、豊臣秀吉の重臣として仕えた。千利休七哲のひとりであった。
また宣教師を助けながら、領内で福音宣教を進め、慈悲のわざにも
力を尽くした。一五八七年、伴天連追放令により、秀吉から棄教を強く
命じられたが応ぜず、大名の地位を追われた。加賀の前田家に保護された
が、江戸幕府のキリシタン禁教令により、一六一四年にマニラに追放さ
れ、翌年二月三日、同地で逝去。
(戦国時代、各領主たちが領土を争っていた時に、信仰のために地位と
名誉を捨てた右近の生き方にわれわれも、神を選ぶということがどういう
ものか、あらためて考えさせられます。)

高山右近
「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、
自分の十字架をになって、
わたしに従いなさい。
自分の命を救おうと望む者は、それを失い、
わたしのために命を失う者は、それを得る。
たとえ全世界を手に入れても、
自分の命を失ったならば、
なんの益になろうか。」
(新約聖書マタイ福音書16の24)
今日は戦国時代の武将高山右近のご紹介をいたします。1552年摂津の
国(現在の大阪府豊能郡)に生まれ、11歳で受洗、後に高槻城主となり、
織田信長、豊臣秀吉の重臣として仕えた。千利休七哲のひとりであった。
また宣教師を助けながら、領内で福音宣教を進め、慈悲のわざにも
力を尽くした。一五八七年、伴天連追放令により、秀吉から棄教を強く
命じられたが応ぜず、大名の地位を追われた。加賀の前田家に保護された
が、江戸幕府のキリシタン禁教令により、一六一四年にマニラに追放さ
れ、翌年二月三日、同地で逝去。
(戦国時代、各領主たちが領土を争っていた時に、信仰のために地位と
名誉を捨てた右近の生き方にわれわれも、神を選ぶということがどういう
ものか、あらためて考えさせられます。)

高山右近
「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、
自分の十字架をになって、
わたしに従いなさい。
自分の命を救おうと望む者は、それを失い、
わたしのために命を失う者は、それを得る。
たとえ全世界を手に入れても、
自分の命を失ったならば、
なんの益になろうか。」
(新約聖書マタイ福音書16の24)
Posted by シスター at 16:53
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